事務局ブログ
第8回日本ジオパークネットワーク全国研修会
2016.02.17 Wednesday 12:00
1月24日−25日に白山手取川ジオパーク及び恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークを会場として、第8回日本ジオパークネットワーク全国研修会が開催されました。
これは、ある地域のジオストーリーを作成して、どのように観光に活かし、また、運営に活かしていくのかを考えるものでした。
まず、参加者は、予め希望した3つの地域(A.沿岸(手取川河口地区)、B.山間地(白峰地区)、C.盆地(勝山地区))に分かれました。現地に行って、地形や地質、生態系や人の暮らしなどの地域資源を実際に見聞しながら、ジオストーリーの材料を集めていきます。更に、それらをグループごとに、整理していきました。
ここでは、白峰地区について紹介いたします。
(写真)班に分かれて、重要伝統的建造物保存地区の古い街並み等を歩きながら現地の取材。
北陸地方の豪雪地域です。その理由としては、過去に日本が大陸の縁から離れて、日本海が形成されたこと、その後、対馬暖流が入り込むようになったこと、また冬季にシベリアからの寒気団からの冷たい空気が、暖かい日本海上を通過するために、大量の水蒸気を吸い込み、山岳地域に豪雪をもたらすためです。
(写真)行勧寺における聞き取り調査
また、白峰地区でかつて養蚕業がさかんになった理由として、斜面にヤマグワが生育していることと、雪圧で斜めに伸びているため、容易にヤマグワの葉に手が届くこと、また、1回の養蚕に50日程かかるが、カイコを雪で冷やしておくため、もう一度養蚕をすることができることが挙げられます。さらに、この地区では、養蚕業だけではなく、焼畑農業も行なわれていたので、住民は比較的裕福でした。また、過去に山間地の平坦地に建設された住宅地は密集しており、現在では、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
(写真)石川県立白山ろく民俗資料館でのようす
(写真)旧杉原家(石川県指定有形文化財(建造物))内の見学
これらの情報から、どのようにツアーを作成するのか、あるいはどのような活用方法が考えられるのかなどをグループごとに議論して、最後に3つの地域の成果を発表しました。
わずか1日の工程でしたが、見知らぬ場所で、地元の人たちから情報を収集したり、五感を使って地域の成り立ちなど理解したりして、地域の特徴を捉えていくことは、受け身ではなく、積極的にジオツアーに参加していることが実感でき、満足感の高いツアーとなることが体験的にわかりました。また、ジオツアーを作成していく楽しさを感じることができました。
(写真)班ごとによるジオストーリー作成のようす(白山国立公園センター)
準備してくださった白山手取川ジオパーク及び恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークのスタッフのみなさま、どうもありがとうございました。
これは、ある地域のジオストーリーを作成して、どのように観光に活かし、また、運営に活かしていくのかを考えるものでした。
まず、参加者は、予め希望した3つの地域(A.沿岸(手取川河口地区)、B.山間地(白峰地区)、C.盆地(勝山地区))に分かれました。現地に行って、地形や地質、生態系や人の暮らしなどの地域資源を実際に見聞しながら、ジオストーリーの材料を集めていきます。更に、それらをグループごとに、整理していきました。
ここでは、白峰地区について紹介いたします。
(写真)班に分かれて、重要伝統的建造物保存地区の古い街並み等を歩きながら現地の取材。
北陸地方の豪雪地域です。その理由としては、過去に日本が大陸の縁から離れて、日本海が形成されたこと、その後、対馬暖流が入り込むようになったこと、また冬季にシベリアからの寒気団からの冷たい空気が、暖かい日本海上を通過するために、大量の水蒸気を吸い込み、山岳地域に豪雪をもたらすためです。
(写真)行勧寺における聞き取り調査
また、白峰地区でかつて養蚕業がさかんになった理由として、斜面にヤマグワが生育していることと、雪圧で斜めに伸びているため、容易にヤマグワの葉に手が届くこと、また、1回の養蚕に50日程かかるが、カイコを雪で冷やしておくため、もう一度養蚕をすることができることが挙げられます。さらに、この地区では、養蚕業だけではなく、焼畑農業も行なわれていたので、住民は比較的裕福でした。また、過去に山間地の平坦地に建設された住宅地は密集しており、現在では、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
(写真)石川県立白山ろく民俗資料館でのようす
(写真)旧杉原家(石川県指定有形文化財(建造物))内の見学
これらの情報から、どのようにツアーを作成するのか、あるいはどのような活用方法が考えられるのかなどをグループごとに議論して、最後に3つの地域の成果を発表しました。
わずか1日の工程でしたが、見知らぬ場所で、地元の人たちから情報を収集したり、五感を使って地域の成り立ちなど理解したりして、地域の特徴を捉えていくことは、受け身ではなく、積極的にジオツアーに参加していることが実感でき、満足感の高いツアーとなることが体験的にわかりました。また、ジオツアーを作成していく楽しさを感じることができました。
(写真)班ごとによるジオストーリー作成のようす(白山国立公園センター)
準備してくださった白山手取川ジオパーク及び恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークのスタッフのみなさま、どうもありがとうございました。
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ユネスコジオパーク誕生記念フォーラム
2016.02.17 Wednesday 09:15
1月23日(土)に日本ジオパークネットワーク主催で、石川県の白山手取川ジオパークにて、「ユネスコジオパーク誕生記念フォーラム」が開催されました。ジオパークがユネスコの正式なプログラムとなったことで、どのようなに変わったのか楽しみにしておりました。以下に講演会とパネルディスカッションについて簡単にご紹介いたします。
はじめに、ユネスコのパトリック・マッキーバー氏の講演では、「ジオパークのもつ最も重要な役割としては、持続可能な開発が、地域社会にも権利の拡大をもたらしてきた」と、各国のさまざまな事例を挙げて、説明しておりました。具体的には、ジオガイドとして、収入を得ることができた人、自然災害の体験を伝えている人、子供たちがジオパークについて学んでいる話し、ひとりでジオサイトを巡りながら、音声ガイドで説明を受けている話し、地元で採れた食材に付加価値をつけて販売している話しなどが紹介されました。
また、再認定審査については、「法的な保護がされていることが確認される必要がある」と強調していました。さらに、イギリスの事例で、世界ジオパークがイギリス経済に与えた恩恵の話しが紹介されました。
(写真)ユネスコのマッキーバー氏の講演
次に、前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏による講演では、ユネスコの理念や、これまでの活動の経緯について紹介しておりました。具体的には、地球環境保全活動として、世界遺産条約、ユネスコエコパーク、ユネスコ世界ジオパークについて話しており、いずれも国際交流を進めることが重要であると話しておりました。また、日本が提案したESD(持続可能な開発のための教育)の紹介もしておりました。
(写真)前ユネスコ事務局長の松浦氏の講演
つづいて、日本MAB(人間と生物圏)計画委員会委員長の松田裕之による講演では、ジオパークとエコパークの共通点や相違点について、世界で唯一、世界自然遺産、ユネスコエコパーク、世界ジオパークの三重登録している済州島や宮崎県の綾の事例を出しながら、紹介しておりました。
(写真)日本MAB計画委員会委員長松田氏の講演
最後に、パネルディスカッションでは、「ユネスコ正式事業化を受けての日本のジオパーク活動」について、議論されました。ここで、以下に、参考になったマッキーバー氏の発言を紹介します。
(写真)パネルディスカッションのようす
【持続可能な発展】携帯電話等に使用されているレアメタルのような非常に貴重な鉱物は、持続可能で効果的な方法で、無駄なく抽出することを考えなければならないが、一方で、これまでの大量消費の生活が持続できなくなっていることを取り上げました。そこで、ジオパークという仕組みが、人々の意識を高めればいくきっかけになることが紹介されました。また、この問題を解決しようとしなければ、私たちは受け入れがたい現実に直面せざるを得なくなるだろうと話しておりました。
【人々の巻き込み方】 ヨーロッパのジオパークネットワークについて、2000年以降1年に3回の会合を持つことが決まって、その後4年間の会合を続けたそうです。毎回、会議を重ねていく中で、友情、信頼がどんどん増し、その成果は、すばらしく、見ていた他の人も会議に参加させてほしいというようになったそうです。
【地球科学で平和】30年間も北アイルランドは内戦状態が続いていたが、地球科学を使って地元の住民をもう一度まとめたいと考えていたそうです。当時、対立している人々はお互いに共通点がないと考えていたようですが、実は、お互いの共通点というのは、地球であるということを伝えたいと思っていたそうです。
【ジオパーク活動の存在価値】ジオパークに参加している人たちは、地質の研究者、ジオパークのファンだけではなく、地元のコミュニティから、地元出身の人たちがジオパークの存在を特別なものにしています。まさにボトムアップの取り組みであって、それがジオパークの存在をすばらしいものにしています。
【ジオストーリー】地質学者が学んできた科学的な表現が、ごく普通の人たちに普通に使われることばを使って、これまでに地球でどんなことがあったのかというすばらしいストーリーを伝えると、それを聞いた人たちは誰でもすごいと驚くと思います。
【ユネスコ世界ジオパークを目指した経緯】
みなさんが国際的に交流、協力ができる場を設けたいと考えたからだそうです。
ここで改めて、ジオパークを楽しみながら、人々と交流を持ち、地球と共生していくことやローカルな存在であるが、グローバルな視点を持つようになるジオパーク活動は、すばらしい仕組みだと思いました。
はじめに、ユネスコのパトリック・マッキーバー氏の講演では、「ジオパークのもつ最も重要な役割としては、持続可能な開発が、地域社会にも権利の拡大をもたらしてきた」と、各国のさまざまな事例を挙げて、説明しておりました。具体的には、ジオガイドとして、収入を得ることができた人、自然災害の体験を伝えている人、子供たちがジオパークについて学んでいる話し、ひとりでジオサイトを巡りながら、音声ガイドで説明を受けている話し、地元で採れた食材に付加価値をつけて販売している話しなどが紹介されました。
また、再認定審査については、「法的な保護がされていることが確認される必要がある」と強調していました。さらに、イギリスの事例で、世界ジオパークがイギリス経済に与えた恩恵の話しが紹介されました。
(写真)ユネスコのマッキーバー氏の講演
次に、前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏による講演では、ユネスコの理念や、これまでの活動の経緯について紹介しておりました。具体的には、地球環境保全活動として、世界遺産条約、ユネスコエコパーク、ユネスコ世界ジオパークについて話しており、いずれも国際交流を進めることが重要であると話しておりました。また、日本が提案したESD(持続可能な開発のための教育)の紹介もしておりました。
(写真)前ユネスコ事務局長の松浦氏の講演
つづいて、日本MAB(人間と生物圏)計画委員会委員長の松田裕之による講演では、ジオパークとエコパークの共通点や相違点について、世界で唯一、世界自然遺産、ユネスコエコパーク、世界ジオパークの三重登録している済州島や宮崎県の綾の事例を出しながら、紹介しておりました。
(写真)日本MAB計画委員会委員長松田氏の講演
最後に、パネルディスカッションでは、「ユネスコ正式事業化を受けての日本のジオパーク活動」について、議論されました。ここで、以下に、参考になったマッキーバー氏の発言を紹介します。
(写真)パネルディスカッションのようす
【持続可能な発展】携帯電話等に使用されているレアメタルのような非常に貴重な鉱物は、持続可能で効果的な方法で、無駄なく抽出することを考えなければならないが、一方で、これまでの大量消費の生活が持続できなくなっていることを取り上げました。そこで、ジオパークという仕組みが、人々の意識を高めればいくきっかけになることが紹介されました。また、この問題を解決しようとしなければ、私たちは受け入れがたい現実に直面せざるを得なくなるだろうと話しておりました。
【人々の巻き込み方】 ヨーロッパのジオパークネットワークについて、2000年以降1年に3回の会合を持つことが決まって、その後4年間の会合を続けたそうです。毎回、会議を重ねていく中で、友情、信頼がどんどん増し、その成果は、すばらしく、見ていた他の人も会議に参加させてほしいというようになったそうです。
【地球科学で平和】30年間も北アイルランドは内戦状態が続いていたが、地球科学を使って地元の住民をもう一度まとめたいと考えていたそうです。当時、対立している人々はお互いに共通点がないと考えていたようですが、実は、お互いの共通点というのは、地球であるということを伝えたいと思っていたそうです。
【ジオパーク活動の存在価値】ジオパークに参加している人たちは、地質の研究者、ジオパークのファンだけではなく、地元のコミュニティから、地元出身の人たちがジオパークの存在を特別なものにしています。まさにボトムアップの取り組みであって、それがジオパークの存在をすばらしいものにしています。
【ジオストーリー】地質学者が学んできた科学的な表現が、ごく普通の人たちに普通に使われることばを使って、これまでに地球でどんなことがあったのかというすばらしいストーリーを伝えると、それを聞いた人たちは誰でもすごいと驚くと思います。
【ユネスコ世界ジオパークを目指した経緯】
みなさんが国際的に交流、協力ができる場を設けたいと考えたからだそうです。
ここで改めて、ジオパークを楽しみながら、人々と交流を持ち、地球と共生していくことやローカルな存在であるが、グローバルな視点を持つようになるジオパーク活動は、すばらしい仕組みだと思いました。
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第4回アジア太平洋ジオパーク・ネットワーク山陰海岸シンポジウム
2016.01.13 Wednesday 11:45
2015年9月17-19日に開催された第4回アジア太平洋ジオパーク・ネットワーク山陰海岸シンポジウムに参加しました。会場は、17日が兵庫県豊岡市、18日がジオツアーで豊岡市から鳥取市まで移動、19日が鳥取市でした。銚子ジオパークからは1名が参加しました。
写真 開会式のようす
17日は、開会式、基調講演、分科会が開催されました。開会式では、書道家が「海岸伝説」と大書きし、日本ジオパーク委員会委員長の尾池先生ほかがあいさつをしました。
基調講演では、ユネスコ地球科学・地質災害課長のパトリック・マッキーバー氏が「国際的な地球科学とジオパークのプログラム」について講演しました。マッキーバー氏は「ジオパークは、人が基礎である。地元の人の持ち物を誇りとして、自分たちのストーリーを構築することが大事である。」と話しておりました。また、世界ジオパークネットワーク(GGN)の会長ニコラス・ゾウロス氏は、「世界ジオパーク:管理運営、地域社会への貢献、国際的な認知への重要なキーとしてのネットワーク」について講演しました。「ジオパーク活動が成功するためには、効果的な運営体、複合的な分野の連携ができること、創造的で革新的な専門チームがあること」だと話しておりました。
写真 基調講演のようす
18日(金)は、豊岡市から鳥取市まで移動しながらジオツアーでした。今回出席したツアーのテーマは、「リアス海岸に影響を受けた陸海交通と人々の暮らし」でした。
山と谷が続き平野の少ない山陰海岸での物流は、200年前まで海上輸送が主でした。リアス海岸の入り江は天然の良港となり、そのいくつかはかつて帆船の風待港として利用されました。海岸の岩場にはその時代の船舶の係留跡が見られます。また、100年前には鉄道が整備されました。高さ41mの鉄道橋とレンガ造りの入口のトンネルは急峻な地形での難工事を物語っています。一方、砂州や浜堤の上に築かれた古い街なみには井戸水や川筋を利用した人々の暮らしの跡が残っています。
香美町の余部橋梁は、長さ310m、高さ41mである。前後に2?ほどのトンネルがあります。付近は、平地がなく、海岸部がリアス式海岸であるため、トンネルと鉄橋が多いです。鉄道の敷設当時、トンネルの技術が高くなかったため、トンネルをできるだけ短くするために、高い場所に鉄道を敷設したそうです。
写真 余部のジオパーク看板
写真 余部の旧鉄道線路
新温泉町の浜坂では、かつて、融雪用の水を得るために井戸を掘ろうとしたら、温泉(78℃)が出てきたそうです。ガイドの方は「土地は、砂地なので、なぜ温泉が出てきたのかわからない。断層、火山もない。」と言っておりました。
写真 井戸から温泉
山陰海岸ジオパーク館は、兵庫県新温泉町の浜坂漁港の近くに位置しています。かつて水族館だったところを改造したようです。2階建てで展示スペースが非常に広かったです。手作り実験装置の展示も充実していました。例えば、鳴き砂(琴引浜)と普通の砂(浜坂)の違いについて、音の有無と構成粒子の違いを顕微鏡で確認できるようになっていました。また、風による砂丘のできかたの実験装置もありました。
写真 山陰海岸ジオパーク館(兵庫県新温泉町)
写真 鳴き砂(琴引浜)と普通の砂(浜坂)の違い
山陰海岸学習館は、鳥取県立博物館付属の施設で、鳥取県岩美町に位置しています。訪れたときには、ちょうど小学生がジオパーク学習をやっているところでした。展示内容としては、日本海の形成に関する歴史について、詳しく展示されていました。また、生きものに関する展示も見られました。
写真 山陰海岸学習館入口(鳥取県岩美町)
写真 山陰海岸学習館でのジオパーク学習のようす
写真 山陰海岸学習館(内部のようす)
写真 山陰海岸学習館(体験学習のようす)
写真 山陰海岸学習館(内部のようす)
鳥取砂丘は、中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっています。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成されました。
写真 鳥取砂丘のようす
写真 鳥取砂丘のジオパーク看板
9月19日は、会場が鳥取環境大学になりました。午前中の基調講演では、東京理科大学の黒田玲子先生による「自然と自然からの知恵と共に生きる」というテーマの講演会が開催されました。これは、2009年4月6日にイタリア・ラクイラで発生した地震について、科学は天災地変をどれほど正確に予測できるのかということ、また科学者の責任はどこまであるのかということについて、イタリアの裁判所が大地震を予知できなかったという理由で、世界的な地震学者らに実刑判決を出し、世界科学界が強く反発しているという内容の事例発表がありました。
これについて、「地震を予知することはきないが、科学者としてアドバイスをする用意があること、科学者は、政策立案者に現実離れした意思決定をさせないようにすべきである。」と言っておりました。
続いて、「日本ジオパーク・ネットワークと日本ジオパーク委員会」というテーマで、渡辺真人さん、齋藤清一さんが発表しました。「日本でジオパークが急速に増加してきた背景には、人口減少と少子高齢化社会、長期にわたる経済停滞によって、持続可能な地域発展のツールが必要となったためであること、一方、自然災害の多い地域に住んでいるのに、災害に関する認識が不足しているために、科学者は社会教育の新たなツールを求めていたことの両方である。」と話しておりました。
午後から、一般向けに、「山陰の海とおさかな」というタイトルで、さかなクンのトークショーが行なわれました。見ていた人は200人程度でした。その後、親子向けのイベントが開催され、大勢の親子連れが来ておりました。
写真 さかなクンのトークショーのようす
写真 親子向けイベントのようす
写真 親子向けイベントの紙工作のようす
写真 万華鏡の工作のようす
写真 鳴き砂と普通の砂の違いを体験するようす
【ブース展示とポスター発表】
写真 台湾のジオパークのブース展示のようす
写真 高校生によるポスター発表のようす
全体として、APGN2015には、海外から多くの参加者が集まっていました。それだけでもジオパークに関する熱意が伝わってきました。特に、世界ジオパークのない台湾からも8ジオパークから60人も参加していました。
今回は、ジオパークの中でネットワークの重要性についての発表が多かったです。成功事例などをネットワークで共有することが重要であることを訴えておりました。
滞在中、山陰海岸ジオパークでは、ジオパークを活用した地域振興が結構見られました。豊岡市のキャラクターにもなっている玄さんを使ったお土産商品、山陰海岸ジオパーク支援自動販売機、山陰海岸ジオライナー、ジオパークロードなどです。銚子でも、良いところは、取り入れていきたいです。
写真 開会式のようす
17日は、開会式、基調講演、分科会が開催されました。開会式では、書道家が「海岸伝説」と大書きし、日本ジオパーク委員会委員長の尾池先生ほかがあいさつをしました。
基調講演では、ユネスコ地球科学・地質災害課長のパトリック・マッキーバー氏が「国際的な地球科学とジオパークのプログラム」について講演しました。マッキーバー氏は「ジオパークは、人が基礎である。地元の人の持ち物を誇りとして、自分たちのストーリーを構築することが大事である。」と話しておりました。また、世界ジオパークネットワーク(GGN)の会長ニコラス・ゾウロス氏は、「世界ジオパーク:管理運営、地域社会への貢献、国際的な認知への重要なキーとしてのネットワーク」について講演しました。「ジオパーク活動が成功するためには、効果的な運営体、複合的な分野の連携ができること、創造的で革新的な専門チームがあること」だと話しておりました。
写真 基調講演のようす
18日(金)は、豊岡市から鳥取市まで移動しながらジオツアーでした。今回出席したツアーのテーマは、「リアス海岸に影響を受けた陸海交通と人々の暮らし」でした。
山と谷が続き平野の少ない山陰海岸での物流は、200年前まで海上輸送が主でした。リアス海岸の入り江は天然の良港となり、そのいくつかはかつて帆船の風待港として利用されました。海岸の岩場にはその時代の船舶の係留跡が見られます。また、100年前には鉄道が整備されました。高さ41mの鉄道橋とレンガ造りの入口のトンネルは急峻な地形での難工事を物語っています。一方、砂州や浜堤の上に築かれた古い街なみには井戸水や川筋を利用した人々の暮らしの跡が残っています。
香美町の余部橋梁は、長さ310m、高さ41mである。前後に2?ほどのトンネルがあります。付近は、平地がなく、海岸部がリアス式海岸であるため、トンネルと鉄橋が多いです。鉄道の敷設当時、トンネルの技術が高くなかったため、トンネルをできるだけ短くするために、高い場所に鉄道を敷設したそうです。
写真 余部のジオパーク看板
写真 余部の旧鉄道線路
新温泉町の浜坂では、かつて、融雪用の水を得るために井戸を掘ろうとしたら、温泉(78℃)が出てきたそうです。ガイドの方は「土地は、砂地なので、なぜ温泉が出てきたのかわからない。断層、火山もない。」と言っておりました。
写真 井戸から温泉
山陰海岸ジオパーク館は、兵庫県新温泉町の浜坂漁港の近くに位置しています。かつて水族館だったところを改造したようです。2階建てで展示スペースが非常に広かったです。手作り実験装置の展示も充実していました。例えば、鳴き砂(琴引浜)と普通の砂(浜坂)の違いについて、音の有無と構成粒子の違いを顕微鏡で確認できるようになっていました。また、風による砂丘のできかたの実験装置もありました。
写真 山陰海岸ジオパーク館(兵庫県新温泉町)
写真 鳴き砂(琴引浜)と普通の砂(浜坂)の違い
山陰海岸学習館は、鳥取県立博物館付属の施設で、鳥取県岩美町に位置しています。訪れたときには、ちょうど小学生がジオパーク学習をやっているところでした。展示内容としては、日本海の形成に関する歴史について、詳しく展示されていました。また、生きものに関する展示も見られました。
写真 山陰海岸学習館入口(鳥取県岩美町)
写真 山陰海岸学習館でのジオパーク学習のようす
写真 山陰海岸学習館(内部のようす)
写真 山陰海岸学習館(体験学習のようす)
写真 山陰海岸学習館(内部のようす)
鳥取砂丘は、中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっています。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成されました。
写真 鳥取砂丘のようす
写真 鳥取砂丘のジオパーク看板
9月19日は、会場が鳥取環境大学になりました。午前中の基調講演では、東京理科大学の黒田玲子先生による「自然と自然からの知恵と共に生きる」というテーマの講演会が開催されました。これは、2009年4月6日にイタリア・ラクイラで発生した地震について、科学は天災地変をどれほど正確に予測できるのかということ、また科学者の責任はどこまであるのかということについて、イタリアの裁判所が大地震を予知できなかったという理由で、世界的な地震学者らに実刑判決を出し、世界科学界が強く反発しているという内容の事例発表がありました。
これについて、「地震を予知することはきないが、科学者としてアドバイスをする用意があること、科学者は、政策立案者に現実離れした意思決定をさせないようにすべきである。」と言っておりました。
続いて、「日本ジオパーク・ネットワークと日本ジオパーク委員会」というテーマで、渡辺真人さん、齋藤清一さんが発表しました。「日本でジオパークが急速に増加してきた背景には、人口減少と少子高齢化社会、長期にわたる経済停滞によって、持続可能な地域発展のツールが必要となったためであること、一方、自然災害の多い地域に住んでいるのに、災害に関する認識が不足しているために、科学者は社会教育の新たなツールを求めていたことの両方である。」と話しておりました。
午後から、一般向けに、「山陰の海とおさかな」というタイトルで、さかなクンのトークショーが行なわれました。見ていた人は200人程度でした。その後、親子向けのイベントが開催され、大勢の親子連れが来ておりました。
写真 さかなクンのトークショーのようす
写真 親子向けイベントのようす
写真 親子向けイベントの紙工作のようす
写真 万華鏡の工作のようす
写真 鳴き砂と普通の砂の違いを体験するようす
【ブース展示とポスター発表】
写真 台湾のジオパークのブース展示のようす
写真 高校生によるポスター発表のようす
全体として、APGN2015には、海外から多くの参加者が集まっていました。それだけでもジオパークに関する熱意が伝わってきました。特に、世界ジオパークのない台湾からも8ジオパークから60人も参加していました。
今回は、ジオパークの中でネットワークの重要性についての発表が多かったです。成功事例などをネットワークで共有することが重要であることを訴えておりました。
滞在中、山陰海岸ジオパークでは、ジオパークを活用した地域振興が結構見られました。豊岡市のキャラクターにもなっている玄さんを使ったお土産商品、山陰海岸ジオパーク支援自動販売機、山陰海岸ジオライナー、ジオパークロードなどです。銚子でも、良いところは、取り入れていきたいです。
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日本ジオパーク関東地区大会(銚子大会)2015が開催されました
2015.12.01 Tuesday 18:00
2015年11月21日(土)〜22日(日)に日本ジオパーク関東地区大会(銚子大会)2015が銚子ジオパークにおいて、開催されました。主な参加者は、関東地方各地のジオパーク(伊豆大島、茨城県北、下仁田、秩父、箱根、銚子)、伊豆半島ジオパーク及び現在ジオパークを目指している筑波山地域、浅間山、秋川流域、三宅島等、それから一般市民の方で、合計約600人でした。
1日目は、銚子市市民センターで開催されました。屋外では、銚子特産品などの物販が行なわれました。一方、屋内では、午前中にバーチャル・ジオツアーが開催されました。各ジオパークとも会話形式を取り入れて見どころを紹介するなど工夫を凝らしておりました。
写真1 物販のようす
写真2 バーチャル・ジオツアーのようす
午後から、開会式及び基調講演が開催されました。基調講演では、内閣府地域活性化伝道師で跡見学園女子大学准教授である篠原靖先生による「ジオパーク資源を活用した総合観光戦略について〜足元の地域観光資源との融合〜」というテーマでご講演をいただきました。現在の観光は、個人、体験、滞在、交流が主流となっており、ありのままの生活文化をどう見せるのかが重要になってきているため、消費者は、そこでしか感じられない今だけ、私だけの旅を求めていると話しておりました。
写真3 開会式のようす
写真4 基調講演のようす
その後は、バーチャル・ジオツアー(午後の部)とブース展示のコアタイムとなりました。ブース展示では、各ジオパークや銚子市内の各個人・団体の方を中心に36の出展があって、にぎわいました。
つづいて、3つのテーマに分かれて分科会が開催されました。内容は次のとおりです。
1.ジオパークを活用した観光戦略と課題解決方法
2.ジオパークを活用した学校教育とその実践事例
3.関東地区ジオストーリーの作成
分科会終了後は、3つの分科会で発表された内容を分かち合いました。
写真5 分科会(観光)のようす
写真6 分科会(教育)のようす
写真7 分科会(ジオストーリー)のようす
写真8 ブース展示のようす
夜間になると、犬吠埼ホテルにて、150人が集い、交流会が開催されました。50kgもあるというメバチマグロの解体ショー、和太鼓の演奏、各ジオパークからの特産品の抽選会を含めて、互いに交流し合いました。
写真9 犬吠埼ホテルにおける交流会のようす
2日目は、銚子ジオパークの見所を満載したジオツアーでした。コースは次の5つです。
1.銚子半島の古代の歴史と下総台地の自然をさぐるツアー
2.銚子半島の海岸で自然と水産業を楽しむツアー
3.お手軽簡単! 銚子でめぐる日本列島形成の足跡ツアー
4.銚電とレンタサイクルで周る銚子半島ツアー
5.伊能忠敬とめぐる銚子ジオパークツアー ―忠敬は全国のジオパークを歩いていますー
それぞれのコースで、みなさまが楽しんでいただけたようです。
また、今回の大会のテーマは、「ジオパークで身近な人とつながり世界を広げよう」でした。各ジオパーク間のつながりができたことは、さることながら、銚子ジオパーク内でのつながりも強まったのではないかと感じました。今後も、連携しながら、ジオパーク活動を推進していきたいです。
写真10 2日目ジオツアー(伊能忠敬とめぐる銚子ジオパークツアー)
最後になりますが、参加していただいたみなさま、どうもありがとうございました。
(ちば県民活動PR月間2015賛同行事)
1日目は、銚子市市民センターで開催されました。屋外では、銚子特産品などの物販が行なわれました。一方、屋内では、午前中にバーチャル・ジオツアーが開催されました。各ジオパークとも会話形式を取り入れて見どころを紹介するなど工夫を凝らしておりました。
写真1 物販のようす
写真2 バーチャル・ジオツアーのようす
午後から、開会式及び基調講演が開催されました。基調講演では、内閣府地域活性化伝道師で跡見学園女子大学准教授である篠原靖先生による「ジオパーク資源を活用した総合観光戦略について〜足元の地域観光資源との融合〜」というテーマでご講演をいただきました。現在の観光は、個人、体験、滞在、交流が主流となっており、ありのままの生活文化をどう見せるのかが重要になってきているため、消費者は、そこでしか感じられない今だけ、私だけの旅を求めていると話しておりました。
写真3 開会式のようす
写真4 基調講演のようす
その後は、バーチャル・ジオツアー(午後の部)とブース展示のコアタイムとなりました。ブース展示では、各ジオパークや銚子市内の各個人・団体の方を中心に36の出展があって、にぎわいました。
つづいて、3つのテーマに分かれて分科会が開催されました。内容は次のとおりです。
1.ジオパークを活用した観光戦略と課題解決方法
2.ジオパークを活用した学校教育とその実践事例
3.関東地区ジオストーリーの作成
分科会終了後は、3つの分科会で発表された内容を分かち合いました。
写真5 分科会(観光)のようす
写真6 分科会(教育)のようす
写真7 分科会(ジオストーリー)のようす
写真8 ブース展示のようす
夜間になると、犬吠埼ホテルにて、150人が集い、交流会が開催されました。50kgもあるというメバチマグロの解体ショー、和太鼓の演奏、各ジオパークからの特産品の抽選会を含めて、互いに交流し合いました。
写真9 犬吠埼ホテルにおける交流会のようす
2日目は、銚子ジオパークの見所を満載したジオツアーでした。コースは次の5つです。
1.銚子半島の古代の歴史と下総台地の自然をさぐるツアー
2.銚子半島の海岸で自然と水産業を楽しむツアー
3.お手軽簡単! 銚子でめぐる日本列島形成の足跡ツアー
4.銚電とレンタサイクルで周る銚子半島ツアー
5.伊能忠敬とめぐる銚子ジオパークツアー ―忠敬は全国のジオパークを歩いていますー
それぞれのコースで、みなさまが楽しんでいただけたようです。
また、今回の大会のテーマは、「ジオパークで身近な人とつながり世界を広げよう」でした。各ジオパーク間のつながりができたことは、さることながら、銚子ジオパーク内でのつながりも強まったのではないかと感じました。今後も、連携しながら、ジオパーク活動を推進していきたいです。
写真10 2日目ジオツアー(伊能忠敬とめぐる銚子ジオパークツアー)
最後になりますが、参加していただいたみなさま、どうもありがとうございました。
(ちば県民活動PR月間2015賛同行事)
カテゴリー: 事務局ブログ |
日本ジオパーク全国大会・霧島大会に参加
2015.11.04 Wednesday 21:20
2015年10月27-29日に、第6回日本ジオパーク全国大会・日本ジオパーク霧島大会に参加しました。銚子ジオパークからは合計11名が参加しました。27日は、開会式、基調講演、分科会、ポスター発表、また物販が行なわれました。28日は、分科会の続き、ポスター発表の続き、閉会式が行われました。
開会式では、今年9月に、日本ジオパークに新規認定された栗駒山麓ジオパーク、苗場山麓ジオパーク、三島村・鬼界カルデラジオパークの3地域の認定式が行われました。これで日本国内のジオパークは39地域になりました。
写真1 開会式のようす
写真2 基調講演のようす
基調講演では、世界ジオパークネットワーク(GGN)副会長のイブラヒム・コモオ氏による「いかに世界ジオパークを作るか」と公立鳥取環境大学の新名阿津子氏の「Enjoy!世界のジオパーク」の2つのテーマが講演されました。コモオ氏は、「ジオパークは、地質を超えて、自然と文化も含めての解釈が重要である。」と話していました。また、新名氏は「ジオパークは、地域住民が主役であり、ジオパークを担う人材の育成が重要である。これが新しい価値を生み出す原動力となる。」と話しておりました。
分科会では、9つに分かれて、それぞれのテーマで話し合われました。このうち、教育部門では、「日本ジオパークの教育として」のスタンダード案の作成を行いました。学校教育における組織面、連携面、教材面、カリキュラム面、継続面について、より詳細な事項について実現可能性が高いものから低いものまで評価を行い、実現可能性が高いものについては、ジオパークの学校教育に関するスタンダードにしようというものです。ジオパークの学校教育に関する方法として参考になりました。
写真3 分科会のようす
写真4 ポスター発表のようす
ポスター発表では、ジオパークを目指している地域では、地域のジオストーリーや認定に向けての取り組みを発表していました。一方、各ジオパークは、ジオパーク活動の取り組みや成果を発表していました。銚子ジオパークからは、今年から開始した「銚子ジオパークのジオガイド養成講座について」を発表しました。
閉会式では、各分科会で話し合われた内容について、発表がありました。その後、大会宣言が発表されました。最後の来年の全国大会の開催地である伊豆半島ジオパークからのあいさつがありました。
写真5 閉会式のようす
閉会式後は、各ジオツアーに分かれました。ここでは、「がっつり火山学ツアー」について簡単にご紹介いたします。
はじめに、鹿児島県の地形は、ほとんどが火山に関係していますが、銚子は、ほとんどが海面下での堆積に関係しています。そのため、景観が異なっています。1日目は、桜島・錦江湾ジオパークの方へ行き、桜島の大正噴火、昭和溶岩に関係する場所に行きました。昭和溶岩は1日に1m位で移動していたので、引っ越すことによって被害に遭わずにすみました。次に、大正噴火では、黒神埋没鳥居という場所で火山灰が堆積した跡を見ました。
2日目は、上野原縄文の森へ行きました。ここでは、約9,500年前(縄文時代早期前葉)の集落が見どころでした。また、弥生時代より前ではあるが、約7,500年前の壺型土器も見物でした。
その後は、高千穂牧場へ移動して、昼食となりました。ここからは、霧島連山が目の前に見えます。その後は、高千穂河原へ行きました。2011年新燃岳噴火後に避難シェルターも作られました。この辺りでは、軽石が5?程堆積しました。
さらに、新燃岳噴火によるインパクト・クレーターの場所を見に行きました。火口から約3.2km(警戒区域の外側)離れていますが、直径1m程の火山弾が飛んできたということです。
最後に、坂本龍馬とお龍が立ち寄った塩浸温泉へ行きました。これが日本で最初の新婚旅行だということです。
写真6 昭和溶岩地帯
写真7 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神ビュースポット
写真8 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神埋没鳥居(1)
写真9 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神埋没鳥居(2)
国分テクノパークの展望台で、周囲を観望。
写真10 桜島(右手)、大隅半島(左手)と錦江湾
写真11 国分平野とその背後のシラス台地
写真12 復元された家屋群
写真13 常設展示室内の壺型土器
写真14 高千穂牧場からの眺め。左側から大路池、韓国岳、新燃岳、中岳、高千穂河原、御鉢、高千穂峰。
写真15 高千穂河原では、2011年の新燃岳の噴火によって、軽石が5?堆積した。
写真16 2011年新燃岳からの火山弾によるインパクト・クレーター跡地。2月1日7:50頃。火事が発生したので、雪で消した。直径は1mを越えていた。このとき、霧島温泉で、空振によって窓ガラスが割れて、ケガ人が出た(2011年新燃岳噴火による唯一のケガ人)。
写真17 塩浸温泉龍馬公園の坂本龍馬とお龍の銅像
塩浸温泉龍馬公園は、坂本龍馬が、日本で最初に新婚旅行をしたコースである。この塩浸温泉で11泊したあと、高千穂峰に登頂した。
開会式では、今年9月に、日本ジオパークに新規認定された栗駒山麓ジオパーク、苗場山麓ジオパーク、三島村・鬼界カルデラジオパークの3地域の認定式が行われました。これで日本国内のジオパークは39地域になりました。
写真1 開会式のようす
写真2 基調講演のようす
基調講演では、世界ジオパークネットワーク(GGN)副会長のイブラヒム・コモオ氏による「いかに世界ジオパークを作るか」と公立鳥取環境大学の新名阿津子氏の「Enjoy!世界のジオパーク」の2つのテーマが講演されました。コモオ氏は、「ジオパークは、地質を超えて、自然と文化も含めての解釈が重要である。」と話していました。また、新名氏は「ジオパークは、地域住民が主役であり、ジオパークを担う人材の育成が重要である。これが新しい価値を生み出す原動力となる。」と話しておりました。
分科会では、9つに分かれて、それぞれのテーマで話し合われました。このうち、教育部門では、「日本ジオパークの教育として」のスタンダード案の作成を行いました。学校教育における組織面、連携面、教材面、カリキュラム面、継続面について、より詳細な事項について実現可能性が高いものから低いものまで評価を行い、実現可能性が高いものについては、ジオパークの学校教育に関するスタンダードにしようというものです。ジオパークの学校教育に関する方法として参考になりました。
写真3 分科会のようす
写真4 ポスター発表のようす
ポスター発表では、ジオパークを目指している地域では、地域のジオストーリーや認定に向けての取り組みを発表していました。一方、各ジオパークは、ジオパーク活動の取り組みや成果を発表していました。銚子ジオパークからは、今年から開始した「銚子ジオパークのジオガイド養成講座について」を発表しました。
閉会式では、各分科会で話し合われた内容について、発表がありました。その後、大会宣言が発表されました。最後の来年の全国大会の開催地である伊豆半島ジオパークからのあいさつがありました。
写真5 閉会式のようす
閉会式後は、各ジオツアーに分かれました。ここでは、「がっつり火山学ツアー」について簡単にご紹介いたします。
はじめに、鹿児島県の地形は、ほとんどが火山に関係していますが、銚子は、ほとんどが海面下での堆積に関係しています。そのため、景観が異なっています。1日目は、桜島・錦江湾ジオパークの方へ行き、桜島の大正噴火、昭和溶岩に関係する場所に行きました。昭和溶岩は1日に1m位で移動していたので、引っ越すことによって被害に遭わずにすみました。次に、大正噴火では、黒神埋没鳥居という場所で火山灰が堆積した跡を見ました。
2日目は、上野原縄文の森へ行きました。ここでは、約9,500年前(縄文時代早期前葉)の集落が見どころでした。また、弥生時代より前ではあるが、約7,500年前の壺型土器も見物でした。
その後は、高千穂牧場へ移動して、昼食となりました。ここからは、霧島連山が目の前に見えます。その後は、高千穂河原へ行きました。2011年新燃岳噴火後に避難シェルターも作られました。この辺りでは、軽石が5?程堆積しました。
さらに、新燃岳噴火によるインパクト・クレーターの場所を見に行きました。火口から約3.2km(警戒区域の外側)離れていますが、直径1m程の火山弾が飛んできたということです。
最後に、坂本龍馬とお龍が立ち寄った塩浸温泉へ行きました。これが日本で最初の新婚旅行だということです。
写真6 昭和溶岩地帯
写真7 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神ビュースポット
写真8 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神埋没鳥居(1)
写真9 桜島・錦江湾ジオサイト、黒神埋没鳥居(2)
国分テクノパークの展望台で、周囲を観望。
写真10 桜島(右手)、大隅半島(左手)と錦江湾
写真11 国分平野とその背後のシラス台地
写真12 復元された家屋群
写真13 常設展示室内の壺型土器
写真14 高千穂牧場からの眺め。左側から大路池、韓国岳、新燃岳、中岳、高千穂河原、御鉢、高千穂峰。
写真15 高千穂河原では、2011年の新燃岳の噴火によって、軽石が5?堆積した。
写真16 2011年新燃岳からの火山弾によるインパクト・クレーター跡地。2月1日7:50頃。火事が発生したので、雪で消した。直径は1mを越えていた。このとき、霧島温泉で、空振によって窓ガラスが割れて、ケガ人が出た(2011年新燃岳噴火による唯一のケガ人)。
写真17 塩浸温泉龍馬公園の坂本龍馬とお龍の銅像
塩浸温泉龍馬公園は、坂本龍馬が、日本で最初に新婚旅行をしたコースである。この塩浸温泉で11泊したあと、高千穂峰に登頂した。
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