ジオパークの楽しみ方
ジオパークは「ジオ(大地)」と「パーク(公園)」を組み合わせた言葉です。
ここでは地質や地形に関係する貴重なもの(地質遺産)が大切に守られていて、活用されています。
地質遺産からは地球の過去の記憶をたどることができます。ジオパークは、地質遺産から地球や地域のことを知り、地球とともにそこに生きる人々の暮らしを未来に残すための仕組みなのです。
銚子市全域がジオパークになっています。
ジオツアーとは?
ジオパークのみどころ、関連する場所を巡るツアーのことをジオツアーと呼んでいます。また、どこのジオパークにも専門のガイドがいます。ジオツアーは各自でパンフレット等を入手して行うこともできますが、ガイドの説明を聞きながら巡ることで、よりジオに対する理解が深まります。
地域にとってのジオパーク
地域にとってのジオパークの大きな目的は「地質遺産の保護・保全」「学び伝える機会づくり(教育活用)」「地域活性化(観光振興、地域振興)」です。これらの活動は、何十年先も活気ある地域を目指して行われています。
ジオパークと世界遺産の違い
世界遺産(自然遺産)が自然地域の保護を主たる目的として登録されるのに対し、ジオパークは地質遺産を含む自然の保護に加えて、それらを教育やツーリズムに積極的に活用し、地域の持続的な活性化を目的としている点で異なります。モノの貴重さだけでなくヒトの活動も重要視されるのです。そのため、ジオパークは4年に1回断続的な活動が行われているか審査されます。
世界遺産 | ジオパーク | |
ユネスコとの関係 | 正式プログラム | 正式プログラム (ユネスコ世界ジオパーク) |
目的 | 保護 | 保護と活用 |
評価対象 | モノ | モノと人 |
審査 | 1回 | 4年に1回 |
日本ジオパークと世界ジオパーク
現在日本には日本ジオパーク委員会(JGC)が認定した43地域(2016年10月現在)の日本ジオパークがあります。また世界には、世界ジオパークネットワーク(GGN)が認定した世界ジオパークが32か国120地域(2016年7月現在)あり、43地域の日本ジオパークのうち、糸魚川、洞爺湖有珠山、島原半島、山陰海岸、室戸、隠岐、阿蘇、アポイ岳の8地域が世界ジオパークに認定されています。
銚子ジオパーク
2012年9月に日本ジオパークに認定された「銚子ジオパーク」は千葉県銚子市の全域がジオパークのエリアになります。
銚子市は、東京から約100km、関東平野の最東端に位置し、北は利根川、東から南は太平洋に臨み、三方を水域に囲まれ、変化に富んだ海岸線を有しています。
江戸時代に赤松宗旦が著した「利根川図誌」の中の「銚子濱磯巡の図」に、銚子の海岸線の景観美を称えて「風景言葉に尽くし難し」と記されているように、銚子は古くから景勝地として人々に愛されてきました。
この江戸時代から人々の目を楽しませてきた銚子の景観は、地球のダイナミックな活動によって作られたのです!
三方を太平洋と利根川に囲まれた銚子は「太平洋に突き出た大地の右腕」に例えられます。
大地の右腕は「こぶしのエリア」 「うでのエリア」 「そでのエリア」の3つに分かれ、それぞれが銚子の大地形成のストーリーを物語っています。
銚子の大地形成のストーリー
こぶしのエリア(2億年前から1700万前)
恐竜が住んでいた中生代の泥や砂などが固まってできた堆積岩、日本海の形成された時期にできた堆積岩やマグマが固まってできた火成岩が分布しています。
このような古い岩石は周辺で見ることはできず、局所的な隆起によって地表に現れています。
犬岩
千葉県最古、ジュラ紀(約2億〜1.5億年前)にできたと考えられている地層
犬吠埼
約1.2億年前にできた地層、恐竜時代の浅い海だった痕跡を海岸で観察できます!
うでのエリア(500万年前から数万年前)
下総台地の北東端にあたります。この台地の大部分は12万年前頃に、古東京湾という浅い海が干上がって誕生し、隆起して平坦な頂上面を持った高まりである「台地」になりました。
この下総台地は陸上で火山灰や塵が堆積して粘土化した「関東ローム層」に覆われています。
屏風ケ浦
隆起してできた下総台地が太平洋の荒波で削れてできた崖。
屏風ケ浦で観察できるのは約300万年前〜90万年前と約10万年前の地層。
そでのエリア(2万年前以降)
2万年前の寒く海面が低かった時期以降に堆積した地形です。
九十九里浜や茨城県神栖市の海岸線に沿った砂丘は、縄文海進以降(約7,000年前)、銚子半島に向かって伸びてきた砂州になります。
古く比較的硬い岩石が隆起し地表に顔をだしているため(こぶしのエリア)、約12万年前の現在のように温暖で海水面の高い時代、銚子は孤島だったと考えられています。この孤島が下総台地の隆起(うでのエリア)や土砂の堆積(そでのエリア)でつながり、現在のような半島地形を形成しました。 このように形づくられた「太平洋に突き出た大地の右腕」の地形は様々な恵みをもたらしています。この恵みは大きく2つのストーリー(「利根川ストーリー」 「黒潮ストーリー」)で語ることができます。
利根川ストーリー
銚子河口はもともと鬼怒川水系の河口で、縄文海進のころには霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼までつながる大きな内湾(古鬼怒湾)の入り口の南の端でした。この内湾はその後、海退(海水準の低下)および鬼怒川などが運ぶ土砂の堆積で狭まっていきました。この時できた利根川沿いの土地には縄文時代から人々が生活をし、貝塚として当時の生活の様子を私たちに伝えています。
江戸時代にはいると徳川幕府が「利根川東遷事業」を行い、銚子河口は利根川の河口になりました。これにより、銚子は東国の物産などを江戸まで運ぶ水運の拠点として大いに繁栄していきました。江戸時代のはじめに始まった銚子の醤油産業も利根川を利用した水運により発展していきました。
黒潮ストーリー
世界最大規模の暖流である「黒潮」は銚子沖で日本列島から離れ東に進んでいきます。銚子沖ではこの黒潮と北からの寒流「親潮」がぶつかります。海の影響を受けやすい銚子の気候は、夏は涼しく、冬は暖かいのが特徴です。この気候を活かし冬季のキャベツやダイコンの生産が特に盛んです。また、風が強く、台地の上ではその風を利用した風力発電がおこなわれています。このような環境の銚子の海岸には様々な植物・海洋生物が生息します。また銚子を北限とする植物も確認されています。
さらに黒潮・親潮がぶつかる銚子沖は栄養塩が豊富で良い漁場となっており、銚子漁港が日本有数の水揚げ量をほこる要因の一つとなっています。
黒潮は紀州(和歌山県)からの人の交流ももたらしています。江戸時代の初めに紀州の崎山治郎右衛門は、故郷から140人もの漁師を呼び寄せ、漁業技術の伝承と外川漁港建設に尽力しました。これが、銚子の漁業の繁栄の礎となっています。
また、ヤマサ醤油を創業したのは紀州から銚子に渡ってきた初代濱口儀兵衛になります。このほかにも多くの紀州の人が移住してきて、銚子の発展を支えました。
黒潮・親潮の流れ
ジオの恵み
しょうゆ産業、漁業、キャベツやメロンなどの農業、風が強いという気候を生かした風力発電など、銚子の主要産業は土地の利を活かしています。
このように、銚子で産出される様々なジオの恵みを味わうこともジオパークの楽しみ方の一つです。
水揚量日本一の銚子漁港
台地の上のキャベツ畑と風力発電
銚子のしょうゆを使ったぬれせんべい