事務局ブログ
茨城県北ジオパークのジオツアー
2013.11.08 Friday 17:00
11月3〜4日に、ジオパーク関東大会in茨城に参加しました。そのうち、4日はジオツアー(「文化とジオの交差点の旅」)に参加しました。
最初の目的地は日立市です。日立市といえばまず日立製作所が思い浮かびました。でも、その原点は日立鉱山(銅山)にあるそうです。それは、鉱山に関連する機械の製作から日立製作所が生まれたようです。かつて、日立鉱山の煙害対策のために、高さ155mの煙突を作ったそうです。しかし1993年に突然倒れてしまい、現在見られる煙突の高さは、そのときの1/3だそうです(写真1)。
少し移動して、かみね公園ジオサイトに行きました。そこでは、カンブリア紀の岩体が見られました(写真2)。カンブリア紀の説明を聞いていると、時間スケールだけでなく、空間スケールも壮大になっているのがわかりました。それだけでなく、地球の歴史が以前よりも、身近になったような気がします。でも、それがカンブリア紀の岩体であることは、専門家でなければ判別ができないようなことが、課題のようでした。
写真1 日立鉱山の煙突。
写真2 日立市のかみね公園にて。カンブリア紀の岩体の説明を聞いている。
次は、高萩市にある高萩炭鉱石炭資料館に行きました(写真3)。石炭は、石炭紀ではなく、古第三紀の地質にあるようです。また、石炭の取れる場所は、阿武隈山地の東側だそうです。日本で石炭が利用されるようになったのは、江戸時代からのようで、ヨーロッパでは、紀元前から利用されていたのとは、だいぶ時代の差があるというのも興味深かったです。
写真3 高萩市の高萩炭鉱石炭資料館にて。石炭を採掘していた時代のジオラマを見ている。
昼食は、北茨城市の大津漁港へ行きました(写真4)。大津漁港は、2011年の東北地方太平洋沖地震で7m程の津波が来襲したようです。海岸の近くの食堂は、新しく建てられたように見えました。周りを見渡すと、まだ復旧工事をしているようでした。魚の方も、まだ、震災の影響を引きずっていると言っておりました。
写真4 北茨城市の大津漁港。まだ工事が続いている。
午後からは、五浦海岸にある岡倉天心が居住していたところに行きました。陸側が海食崖に囲まれており、前方が太平洋を臨んだ景色のいい場所でした。それはまるで目の前の太平洋が自分の庭のように見えたのではないかと思われました。敷地内の六角堂は、国の登録有形文化財に指定されておりました。しかし、2011年の東北地方太平洋沖地震の津波の被害で、現在は、再建されたものであります(写真5)。
写真5 北茨城市の五浦海岸(六角堂)にて
写真6 風船爆弾放球地跡
最後に、風船爆弾の放球地を見学しました(写真6)。第二次世界大戦中に、偏西風を利用した風船爆弾が考案されました。風船の材料は、和紙とコンニャク糊だそうです。錘には砂が使用されたようです。しかし、アメリカでは既に日本の砂のサンプルを持っていたそうで、3つの放球地(大津、勿来、一宮)のうち、一つは当たっていたそうです。それもすごい話だと思いました。
過去事実は、変えることができませんが、今後ジオパーク活動が平和とは離れた分野に利用されたくないと思いました。
近隣のジオパークでジオツアーに参加したのは、とても有意義でした。茨城県北ジオパークの関係者のみなさま、どうもありがとうございました。
最初の目的地は日立市です。日立市といえばまず日立製作所が思い浮かびました。でも、その原点は日立鉱山(銅山)にあるそうです。それは、鉱山に関連する機械の製作から日立製作所が生まれたようです。かつて、日立鉱山の煙害対策のために、高さ155mの煙突を作ったそうです。しかし1993年に突然倒れてしまい、現在見られる煙突の高さは、そのときの1/3だそうです(写真1)。
少し移動して、かみね公園ジオサイトに行きました。そこでは、カンブリア紀の岩体が見られました(写真2)。カンブリア紀の説明を聞いていると、時間スケールだけでなく、空間スケールも壮大になっているのがわかりました。それだけでなく、地球の歴史が以前よりも、身近になったような気がします。でも、それがカンブリア紀の岩体であることは、専門家でなければ判別ができないようなことが、課題のようでした。
写真1 日立鉱山の煙突。
写真2 日立市のかみね公園にて。カンブリア紀の岩体の説明を聞いている。
次は、高萩市にある高萩炭鉱石炭資料館に行きました(写真3)。石炭は、石炭紀ではなく、古第三紀の地質にあるようです。また、石炭の取れる場所は、阿武隈山地の東側だそうです。日本で石炭が利用されるようになったのは、江戸時代からのようで、ヨーロッパでは、紀元前から利用されていたのとは、だいぶ時代の差があるというのも興味深かったです。
写真3 高萩市の高萩炭鉱石炭資料館にて。石炭を採掘していた時代のジオラマを見ている。
昼食は、北茨城市の大津漁港へ行きました(写真4)。大津漁港は、2011年の東北地方太平洋沖地震で7m程の津波が来襲したようです。海岸の近くの食堂は、新しく建てられたように見えました。周りを見渡すと、まだ復旧工事をしているようでした。魚の方も、まだ、震災の影響を引きずっていると言っておりました。
写真4 北茨城市の大津漁港。まだ工事が続いている。
午後からは、五浦海岸にある岡倉天心が居住していたところに行きました。陸側が海食崖に囲まれており、前方が太平洋を臨んだ景色のいい場所でした。それはまるで目の前の太平洋が自分の庭のように見えたのではないかと思われました。敷地内の六角堂は、国の登録有形文化財に指定されておりました。しかし、2011年の東北地方太平洋沖地震の津波の被害で、現在は、再建されたものであります(写真5)。
写真5 北茨城市の五浦海岸(六角堂)にて
写真6 風船爆弾放球地跡
最後に、風船爆弾の放球地を見学しました(写真6)。第二次世界大戦中に、偏西風を利用した風船爆弾が考案されました。風船の材料は、和紙とコンニャク糊だそうです。錘には砂が使用されたようです。しかし、アメリカでは既に日本の砂のサンプルを持っていたそうで、3つの放球地(大津、勿来、一宮)のうち、一つは当たっていたそうです。それもすごい話だと思いました。
過去事実は、変えることができませんが、今後ジオパーク活動が平和とは離れた分野に利用されたくないと思いました。
近隣のジオパークでジオツアーに参加したのは、とても有意義でした。茨城県北ジオパークの関係者のみなさま、どうもありがとうございました。
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