みどころの紹介
屏風ケ浦Byoubugaura Cliff
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屏風ケ浦は下総台地が海の波によって削られた崖です。千葉県銚子市犬岩から旭市刑部岬まで約10qにわたって連続します。切り立った落差約20m〜60mの崖は、比較的柔らかい地層からできており、かつては年間50cm〜100cmも波浪の影響で削られていました。常に削られていたおかげで、崖面に植物があまり生えず、地層の縞模様が美しい特徴的な崖が形成されました。
その雄大な風景は古くから多くの人に愛され、利根川水運を利用した江戸庶民の遊覧旅行、東国三社詣の延長線上に隆盛を迎えた「銚子磯めぐり」の終末点になっていました。また、江戸後期以降、その特徴的な地形が形作る景観が名所記や名所図会等の出版物に取り上げられるようになり、歌川広重の『六十余州名所図会』(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)にも描かれました。
この屏風ケ浦は最上部の関東ローム層以外に大きく二つの地層からできています。
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下の地層
下の地層は海の中で砂や泥がたまってできました。できた時代は約310万年前から35万年前です。このうち屏風ケ浦で観察できるのは約310 万年から85万年前の地層になります。この海はだんだん深くなり、約180万年前には水深およそ1500mだったと考えられています。その後、この海は浅くなっていきました。ここからは、深い海に住んでいる、ウニ(ウルトラブンブク)、貝(オキナエビス)などの化石が見つかっています。
上の地層
銚子の周辺が浅い海だった約10万年前にできた地層です。浅い海の砂泥底に住んでいる貝類がみつかっています。また浅海に住んでいるゴカイの仲間の生痕化石を見みることもできます。この時代の銚子は愛宕山を中心に孤島だったと考えられています。
屏風ケ浦は下総台地が海の波によって削られた崖です。かつては年間50cm〜100cmも波浪の影響で削られていました。
これらは、以下のように削られていきました。
- 波によって海面近くの高さに穴(海食窪)ができる
- 穴の上面が崩壊する
- 崩壊した土砂が波に運ばれる
このため、1960年台消波ブロックを設置し、結果、崖の後退速度が一桁小さくなったといわれています。
しかし、侵食が抑えられることで崖面に植物が繁茂してきて、美しい地層の縞模様が失われつつあること、土砂の供給量が減少したため、南方の九十九里浜の砂浜がやせてきていることなどが指摘されています。
火山灰とは?
火山から噴出された固形物の中で、およそ2o以下のものを火山灰といいます。その中には、火山ガラスや鉱物の結晶、古い岩石の破片などを含み、火山灰によって特徴が異なります。
屏風ケ浦の地層の年代はどのように明らかにされたのか?(鍵は火山灰層)
屏風ケ浦の地層には多くの火山灰層が挟まれており、特に一番下の地層(犬吠層群)には230層以上の火山灰が確認されています。
火山灰の多くは風によって遠くから運ばれてきたもので、広範囲に分布する火山灰層は地層の対比に役立ちます。また火山灰自体、様々な方法で年代を測定することが可能です。屏風ケ浦で観察される犬吠層群は火山灰より310万年前〜85万年前に堆積したことが明らかにされています。
関東ローム層と野菜作り
屏風ケ浦の最上部、濃い茶色のひび割れのある地層が「関東ローム層」です。下総台地の断面である屏風ケ浦の海食崖を観察してわかるように下総台地は関東ローム層でおおわれています。
現在、広く平坦面が広がる下総台地は野菜の一大生産地となっており、銚子ではキャベツや大根の生産が盛んです。
実は、火山灰土壌である関東ローム層は作物に必要なリンを鉱物として固定するために作物が吸収できず、耕作には不適な不毛地帯でした。しかし、人々はリンを肥料として与えるなどして、不毛の地を野菜が育つ土壌へと変えたのでした。下総台地で野菜がたくさん収穫できるのは先人の人々の努力おかげなのです!
遊歩道を歩いていると大きな穴をいくつか見ることができます。崖下の穴は波で削られたものですが、崖の中ほどにある穴は人工的に掘られたものです。
太平洋戦争時、屏風ケ浦の「人の開けた穴」は防空壕(ぼうくうごう)として利用されていました。当時、東京(首都)への食料供給の重要拠点の壊滅を狙い銚子への空襲が加えられました。この空襲から避難するためにこの穴が利用されたのです。
現在、人がすぐに逃げ込むのは困難にみえます。これは侵食で、下のほうが波により削られたために、崖の中腹に突然穴が開いているようになったのです。
準備中
屏風ケ浦遊歩道
JR「銚子駅」より千葉交通バス(千葉科学大学行き)
「千葉科学大学マリーナ前」下車、徒歩約500m(約6分)