みどころの紹介
銚子のしょうゆ産業Soy sause of Choshi
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銚子は江戸時代からしょうゆづくりが盛んな町で、今でも市内では、小倉醤油、宝醤油、ヒゲタ醤油、ヤマサ醤油がしょうゆを製造しています。また銚子山十では、食べるしょうゆといわれている発酵調味料「ひしお」をつくっています。江戸時代から豊かなしょうゆの香りが立ちのぼるまちが銚子なのです。
銚子は太平洋に突き出た半島で寒暖の差が少なく多湿な海洋性気候となっています。このため、しょうゆ醸造に欠かせないこうじ菌が働くのに適した地域といえます。
江戸時代にしょうゆ醸造の一大拠点になった大きな理由は利根川にあります。徳川家による「利根川東遷」事業の結果、1654年に利根川の河口は銚子となりました。これにより江戸と銚子は水路で結ばれることとなります。
利根川を使った水運が始まり、大量の干鰯(ほしか※注1)を江戸に運び売りさばくことが盛んになったのに触発された銚子のしょうゆ醸造元は、重いしょうゆ樽を水運で運び、しょうゆを江戸で売りさばくと共に、帰りの船でしょうゆの原料である塩を行徳(千葉県市川市の南部)、大豆と小麦は利根川流域で調達するという製造、配送、販売、消費の流れを作り上げました。江戸時代の後期になると、銚子では10を超えるしょうゆ醸造元が大量にしょうゆを生産し、江戸の食文化を支える重要な拠点となりました。
江戸時代から伝わり、長年にわたって改良されてきた独自のこうじ菌は各社オリジナルの色・味・香りを作り出しています。
※注1 干鰯:干したイワシ。金肥といわれ綿花栽培時に使用された高級肥料
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ヒゲタ醤油株式会社
1616年(元和2年)、銚子の豪農、田中玄蕃(たなかげんば)が摂津西宮の酒造家、真宜九郎右衛門(さなぎくろうえもん)の勧めでしょうゆ醸造を始めたのが、ヒゲタ醤油の始まりで、これは関東で最古のしょうゆ会社と言われています。
その後、元禄時代(1688〜1704)に、第五代田中玄蕃が江戸の食味に合うように醸造法を改良(小麦の活用、米麹の利用など)して、現在の関東濃口しょうゆの基礎が出来上り、江戸庶民の食生活にしょうゆが欠かせないものとなりました。
工場見学について詳しくはこちら(外部リンク:ヒゲタ醤油 わくわく工場見学)
ヤマサ醤油株式会社
1645年(正保2年)紀州(現在の和歌山県)広村出身の濱口儀兵衛が銚子でしょうゆ醸造業を始めたのがヤマサ醤油の始まりと言われています。
津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる濱口梧陵(はまぐちごりょう)は濱口儀兵衛家(現ヤマサ醤油)の当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗りました。
工場見学について詳しくはこちら(外部リンク:ヤマサ醤油 工場見学のご案内)
ヤマサ醤油:JR「銚子駅」から徒歩約700m(約9分)